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ウィトゲンシュタインから龍樹へ

黒崎宏「ウィトゲンシュタインから龍樹へ・私説『中論』」を読んだ。
哲学者による仏の教え解説(私説)。
おかげで「中論(三枝充悳訳)」読みかけて「龍樹」読んでみて、すんなり頭に入ってこず理解不能だったので、かなり凹んでいたのが、気が楽になったかな。(^^ゞ
とりあえず、はじめに と おわりに だけ読んでもOKかと。(^^;)
あ、でも中論も龍樹も読んでない人は、これ1冊で済ませるか?(^_^;)

はじめに より 抜粋
****ここから****
 のっけから「序」において、「八不」と言われる「不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不去・不来」を称揚して度肝を抜き、第一章では、そのうちの「不生」についての敵対者からの反論に対して徹底的に論駁し、第二章では、「去るものは去らず」と、矛盾以外のなにものでもないことを言い、第三章では、「〈見る主体〉も〈見る働き〉も〈見られるもの〉も存在しない」と、無茶苦茶なことを言い、第四章では、「物的なものについても、心的なものについても、いかなる分別的思考もなすべきではない」と、思考の放棄を宣言し、…。そして第二十五章では、「ブッダは、いかなる教えも説かなかった」と言って、見る眼を疑わせるのである。そうであるとすれば、(全100巻とも言われる)あの膨大な大蔵経などは、一体何なのか。
 これが、「八宗の祖」 — 言わば「大乗仏教全体の祖」 — と言われるナーガルジュナ(漢訳名「龍樹」)の『中論』を一読した限りでの、おおかたの第一印象であろう。しかし『中論』は、決して支離滅裂なことを言っているのではない。それは、極めて論理的な著作なのである。そうはいっても、あまりに論理的すぎて、難解であることには変わりがない。ここでわれわれは、神秘的なことは勿論のこと、超越的なものも仮説的なものも一切排除して、ただひたすら事柄そのものそれを私は〈言語ゲーム〉であるとするに肉薄すべきなのである。(『中論』には、仮説的なものを立てての説明的な部分は全くないのである。)おそらくこれが、『中論』をわがものとする最高の秘策であろう。そうすれば、眼前に新しい世界が開けてくるはずである。
(略)
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」の核心は、すべてのもの一切を、心的なものも物的なものもおしなべて言語的存在とみなす、ということである。すなわち、言語を離れたもの — 言語以前に実体としてあるもの — なるものは一切存在しない、というのである。言い換えれば、一切は言語的存在であり、意味的存在なのである。この世界像が「五蘊皆空」(一切は空である — 実体は存在しない — )を唱えるの般若の — そして『中論』の — 世界像と直結しうることは、容易に見て取れるであろう
(略)
 『中論』と『般若心経』は、同じ思想を展開しているのであろうか。実は私には、必ずしもそうとは思えない節がある。私には、両者にはいくらかのズレがある、と思われるのである。それは、『般若心経』と言えば「色即是空・空即是色」であるが、この言葉は『中論』にはないし、また、有り得ないから、である。『中論』には「不一不異」の原理が貫いているが、その「不一」の部分が「色即是空・空即是色」の「即是」の論理と両立できないのである。(第二章の第7偈を参照)
(略)
****ここまで****

おわりに より 抜粋

***ここから****
(略)
実は、私の『中論』との格闘には、もう一つの契機があった。それは、中村元著『龍樹』の新刊案内の解説に、こうあったことである。
 真実に存在するものはなく、すべては言葉にすぎない。
 深い思索と透徹した論理の主著『中論』を中心に、
 「八宗の祖」」と謳われた巨人の「空の思想」の全体像に迫る。
真実に存在するものはなく、すべては言葉にすぎない」とは、聞き捨てならない言葉である。これは、龍樹の『中論』の中にある言葉であろうか。中村元の解説の中にある言葉であろうか。あるいは、編集者の言葉であろうか。
(略)
 そのような言葉はどこにも見い出せなかった。それでは、「真実に存在するものはなく、すべては言葉にすぎない」という言明は、誤りであろうか。私は、必ずしもそうは思わない。問題は、すこし不注意で、すこし言い足りない、ということである。私は、本来ならば「ものには実体がなく、すべては言語ゲームである」(1)と言うべきであった、と思う。そして、かく言うとき私は、その裏に「しかし、真実に存在するもの(実存)はある、それは言語ゲームである」(2)ということを込めているのである。そして、この(1)と(2)を合わせたものこそ、「空の思想」の(後期)ウィトゲンシュタイン的表現ではなかろうか
(略)
****ここまで****

ヒントにはなった。
けど、言語ゲームが実存て…;;;
やっぱり、哲学に行かずに、仏の教えに戻ることにします。。。

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