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自死に近い死

人はいつ、「死」について考えてみる気が起こるんだろう?

今日未明かっちゃんが亡くなった。
急性肝炎(劇症肝炎?)で入院してからも、酒を飲み続けていたとの話も。
(それを知っている?)てっちゃんが「自死に近い死だったと思う」とコメント。

ちょうど「『死』とは何か」 Shelly Kagan イェール大学で23年連続の人気講義 という本を読み終わるところだった。
まったく偶然にも、読んでいた最後の第9講は「自殺」。
読みながら、かっちゃんの事ばかり考えていた。
かっちゃんってもうずっと長いこと、もしかしたら病気になるもっと前から、死と向き合ってた人なんだろうなぁと思う。

「死」とは何か 抜き書きメモ:
死についての最終講義 より
(ボールドになっているところは実際は・で強調されている)
***ここから***
 魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。愛したり、夢を抱いたり、創造したりする能力があり、計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。
 そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、特別に不思議なわけではない。
 (中略)
 そんなわけで、死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切ではない。適切ではないどころか、死に対する比類なく合理的な応答にはほど遠い。思うに、死を恐れるのは不適切な対応だ。
***ここまで***

訳者あとがき より 抜き書きメモ
***ここから***
 さて、著者は本書の目的について、こう述べている。
「大切なのは、みなさんが自ら考えることだ。突き詰めれば、私がやろうとしているうちで最も重要なのは、死をしっかりと凝視し、私たちのほとんどがけっしてしないような形で死と向き合い、死について考えるよう促すことだ」
「(中略)・・・みなさんが最終的に同意するかどうかよりも大切なことがある。それは、この機会にみなさんが自分の信念を批判的に検証できたかどうか、つまり、何が真実であることを自分が望んだり、願ったり、当然だと思ったりしているかだけでなく、何が実際に擁護できるかも自問することができたかどうかだ」
***ここまで***

(全然仏教的じゃないけどこれ哲学だから~、な)表紙カバーより
***ここから***
どのような生き方をするべきか?
”誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、
この問いについては慎重に考えなければなりません。
どんな目的を設定するか、
どのようにその目的の達成を目指すか、
念には念を入れて決めることです。

もし、死が本当に”一巻の終わり”ならば、
私たちは目を大きく見開いて、
その事実に直面すべきでしょう。
――自分が何者で、
めいめいが与えられた”わずかな時間”を
どう使っているかを意識しながら。
***ここまで***
あー、これ、要らんかな。。

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