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仏教原論2019第5回

ダンナさんと行ってきた。

今日の1冊は「仏教入門」南直哉。
てっちゃんは院代に「仏教の基本書を書くべき」と早くから言ってたそう。
直球の仏教書。特に中論を巡る議論は鋭く、中論が「言語批判」、相依縁起を語っている、など、全面的に同意するとのこと。
ただ、「輪廻は要らない」は、どうかな、、だそうです。
※よくわからなかったところ→相依縁起(A⇔Bと相互に縁る、となると、AやBに自性が存在することになる。こういう図式は言語の構造である。言語は人類の第二の本能、根源的慣習。例えば「私」は言語により実体があるように思えるが、実は否定しなくてはいけない、というのが中論。)

で、今日は「怪談とほとけ」について。
怪談は仏教説話に近い、と。
かさねがふち(累ヶ淵)
四谷怪談の原型とも。
典型的な因縁話。
日本人はこういう怪談話を通して因縁話(仏教説話、なので話の終わりは「解脱」という救いがある)を聞いてきたのでは。

ところで怪談につきものの「霊」について。
今回の主題は「霊」、いったい霊とは何か。霊性・霊魂・亡霊・怨霊・・・
仏教には中有(ちゅうう)という考え方がある。(四十九日のこと)
死んですぐ後有(ごう)[の世界]に行ければ、霊は存在しない。
ちなみに、中有を認める仏教と認めない仏教があるらしい。説一切有部は認める、上座部は認めない、チベット仏教は認める・悟りの鍵・・・
インドにはガンダルヴァという霊のようなものがいるらしい。香りを食べるので「食香」と呼ばれる。そう言えば故人は香食、線香を絶やさないようにするね。

閑話休題。

ブッダは中有などというものは「ない」と言っている。(マッジマ・ニカーヤ第38経「大愛人経」・プリント参照)
縁がなければ識の生起はない。(識を輪廻する魂と見ている弟子に、こう言った)
つまり「識」≠「霊」
死んでも心が続く欲求は生存欲求、心が続く限り「私(実体)」は常住という本能。(中論は言語批判)

霊性とか霊知は、人間の生存欲に根ざしている。
 ちなみに 有愛(ヴァータンハ・生存欲)、欲愛(カーマタンハ・気持ち良い欲)、無有愛(ヴィバワタンハ・存在しない欲、自分を消したいという欲望)のうち、無有愛なんて、仏教の深いところ。

では「輪廻」は?
(和辻哲郎のプリント参照)
凡人には輪廻がある(無我を悟っていないから)
聖者(如来など)には輪廻はない(無我を悟っている)

道元「正法眼蔵」弁道話より(プリント参照)
身心一如にして性相不二なり(体と心はひとつ、私と世界はひとつ)→心性(霊魂)の常住(不滅)を批判している。
この弁道話の強い口調は、道元が浄土宗(法然)が仮想敵だから(笑)

最近の哲学
「思弁的実在論」が流行ってきている。(マルクス・ガブリエル)
個物は存在するが世界は存在しない。

残留思念の話
「姑獲鳥(うぶめ)の夏」」京極夏彦
在るか無いか。存在論。オントロジー。→ てっちゃんはこの話もしたかったけど、時間切れとなり。

釈さん、井上先生との会話より
仏教は人類の知恵の結晶
そして霊。
という字は祭壇から来ている=儀礼
霊を祀る:「死」の受容の一形態、→ 共同体は霊を必要としている? → 霊は共同幻想!(笑)

帰りに梅田の「神泡屋」に寄った。

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