カテゴリー「仏教」の記事

仏教原論2019.5

ダンナさんと。
私より、ダンナさんのほうがちゃんと聞いてるかも?
私、ノート取るのに一生懸命(^^ゞ

メモは後ほど。。

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"平成最後の"()仏教原論講義

今年も仏教原論。金曜日の夜に変わり。
今回はダンナさんも一緒に受講。

今回はオリエンテーション、この先(今日も含めて11回)のイントロということ。
・四聖諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)=仏教の根本
・教科書として『ごまかさない仏教』『仏教論争』

今日の一冊『100万回生きたねこ』佐野洋子 てっちゃんは仏教説話と捉えている。(釈さんはそれを「面白い」と)

最後にねこが死んでしまうというのに、良かった、と思えるのはなぜか?
前世を知りながら何度も生まれ変わる、つまり永遠の命、これも『苦』と捉える、という。←仏教的

・輪廻転生を繰り返すねこ「しぬのなんか へいきだった」*ここ重要(『死』は悪いものという近代的死生観から乖離している)
・飼い主(他者)は、ねこが死ぬと悲しむ。(自分の死は他者にしかわからない)
・ねこが、のらねこになると(誰のものでもなくなると)『生』を獲得=自我~自尊~自愛の意識に囚われる(煩悩)
ちなみに、「過去世の記憶を全て持っている」というのは仏陀と同じ(前生譚)
・ねこが白いねこと一緒になり子供を持ち、他者を大事に思うというのは、自愛の否定や、他者と自分という関係性(縁起)
いつまでも生きていたいと『生』への執着(まだ煩悩)
・白いねこが動かなくなり(本当の死を知り)100万回も泣き(苦しみ)
自論ここから→・夜になって 朝になって が 朝になって 夜になって に変わるところは悟り~俗世に戻る感じ
 ・ある日のお昼に(中論)
 ・ねこはなきやみました ねこは白いねこのとなりでしずかにうごかなくなりました。(自分の死を他者が見たらこれ ねこは自分の死を見れない)←自論ここまで
・ねこはもうけっして生きかえりませんでした。(涅槃、生天)← ところが後で釈先生が「涅槃は無理、ねこだから」と言って教室内が湧いた(笑)
・最後のページの絵にはねこがいない(不在):仏教にとって、輪廻転生は否定対象。生き返らないこと(涅槃)が理想(大般涅槃経)
釈先生→・この童話では誰それという名前が出てこない。固有名詞は近代自我の特徴、名前は自我を強める装置。

と。
四聖諦とかの『諦』とは?真理?まとめ?あきらめ?…で語源は?…という話になって、宿題に。
これは興味深い。

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坐禅初体験

南直哉院代の講座に行ってきた。
今日はお話を聞いた後、別に坐禅の体験があって。
股関節硬いのに、膝痛いのに、本当にできるのか?…という重い気持ちで参加してみた。

結果、参加してよかったと思う。
曹洞禅の作法と流れ

股関節が固く、結跏趺坐どころか半跏趺坐すらできない(膝が床につかない)人は「諦めてください」なんだけど、縦半分に折った座布団に跨るようにしてお姉さん座り(とにかく膝を床につけること・3点で体を支えることが大切)をすれば、形はともあれ、坐禅ができる。嬉しい。
股関節の外旋がきついから内旋にしてしまう。。(^^ゞ という坐禅は新鮮だわー。

20分座った。
始まってすぐ、親指がついてるかついてないかの感覚がなくなった。
時々目を閉じそうになったけど、寝てない。「起きてる」と「寝てる」の間な感じ。でも金縛りとは違う。。
何も考えないようにと考えるのも雑念だから、思い浮かぶものは振り払わないでやり過ごす感。

何だろう、気持ちいい。
毎日10分でもいいからやってみなさいとのこと。
できるかな。

考えたらすごい経験だわ。
あの南直哉院代直々に、坐禅を教わるなんて~(^o^)
一緒に体験した女の人たち、倉敷、明石、滋賀からとか、結構遠くから来ておられたのもわかる。

と。
この日の講演、メモしたのを写すのがしんどいので、他人のをお借りします。
南直哉師の「よく生きる」ことの解答とは

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公開講座へ

カテゴリー、仏教じゃないけど宗教関連。
相愛大学人文学部の公開講座を受講。
今日は無料なのでダンナさんを誘ってみたら、一緒してくれた。

釈先生による「宗教の共存について考える」
レジュメに沿って、とても分かりやすい講義。
釈先生ご自身の経験も有り。

宗教を総括的に勉強する機会は無い。ほとんど。
(行ってた学校で「宗教学」取ったけど、何やってたか全然覚えていない)
ましてや、それぞれの(伝統)宗教の共存なんて、凡夫だし語れない。
ただただ、釈先生の話に頷くばかり。

違う宗教(文化)がわかり合うなんて無理。が、学ばないより学ぶほうが良い。
理解や共感とかを前提にするのも無理。
共存と言うより、呼応。それも時間をかける(先送り、棚上げ)こと。
無宗教と言う人だって何かの文化の中で育っているのだから、当事者意識を持つべき。
信仰を持つものは加害者意識を持つべき。
簡単じゃない。

これから移民政策で在留外国人が増える。
日本は多文化多宗教に対応できるのだろうか?

しかし、受講しているのはおおよそじじばば世代。
せっかく問題意識が芽生えても、積極的に社会活動できる年齢層じゃない。
若い人はこういう勉強会に参加しないかな。

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仏教原論今期最後の授業

仏教は、人を救う考え方。
なのに、なんてパンキー(笑)

佐々木閑先生は「大乗仏教は非仏説」と言ってるが、てっちゃんは「ブッダの教え」と。
その根拠。

という講義。(内容は濃く、熱かった)

今日のプリント:
「大乗般若経」より第十六章 阿闍世王の病と苦悩 のところ(先月のおさらい)
「ブッダ神々との対話‐サンユッタ・ニカーヤI」中村元訳・岩波文庫 第II篇 第三章 種々なる異学 第六節 『赤い馬』(九偈 …世界そのものと、世界の生起と、世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道… が四諦(四聖諦)に通じる)
「ブッダのことば」中村元訳・岩波文庫 第四 八つの詩句の章 『一一、争闘』(874:「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。――このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」→これは「縁起」に展開していくと思っている(宮崎) この874は中論に出てきそうだ、とてっちゃん。

私としてはもっと龍樹の空の話を聞きたかったけれど、「仏教原論」なので、初期仏典から原始仏教(と大乗仏教)を探る講義が多かった。
来期も講義があるので楽しみ。
実践編が多くなる予想(受講生の希望から?)

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原始仏教と大乗仏教

仏教原論
ノートからの書き写し、したいところだけど、今日は無理。

佐々木閑先生の新しい「大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか」NHK出版新書 がたぶんほぼテキスト。
読まなくちゃ。

と。
ウォークマン、修理(というか交換)に8500円+税 な値段がかかりそう。
なので、新しいのを買うのと同じ。
ダンナさん、もう買ってくれないだろうなorz

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仏教原論(教行信証)

かっちゃんの件がショックだと、まず言われて。
「お酒には気を付けましょう」と。アルコール性肝炎は発覚した時にはもう手遅れですと。

で、今日の講義内容は「教行信証」から。
真宗系の学校で、やっと親鸞が出てきた。

教行信証は略称、正式には顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)
三 より

阿闍世(あじゃせ)王の話。 wiki コトバンク

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いのちのセミナー

以前、Twitterで検索かけて拾った情報により、今夜のセミナーに参加できて行ってきた。
2018年度第7回いのちのセミナー 講演「魂のゆくえ」 講師:南直哉

このセミナーは、あの平成17年JR福知山線脱線事故を踏まえ、安全基盤形成に関する研究助成や社会福祉団体等への寄付を含めて、平成21年4月に設立したJR西日本あんしん社会財団が、一般の人を対象とした心のケアへの取り組みなど、社会に役に立つ取り組みとして開催している、とのこと。

で、依頼され、南直哉が登壇。
抽選に当たった。嬉しい。(かなりの応募数だったらしい)

講演の内容
院代の自己紹介から始まって。
落語を聞いているような軽快なお喋りで笑いを誘い、聞く人を引き込んでいく。
最後は「魂」について。

残った言葉
自分一人で結論が出ることは些末な事。
3.11以降、生きている感覚が変わった。「当たり前に安全」など無い、と「なぜ私はここにいるのか、なぜ私が生まれてきたのか、わからない」。
生まれた根拠や意味など無い。
(生死は)誰かを通してしかわからない。
人を許す→人を許す自分を許す、ということ。
幽霊は無いけど魂はある。
魂は生きる意味と価値。人との関係で育まれる。「生」に重み・重力を与える。
無条件に自分を受け止めてくれる人がいることが重要。
死者はなくならない。「いる」。人の「生」に食い込んでいる。
大切な人:我々の魂(生きる意味と価値)を育ててくれる人
「生」に意味があるのは「死」があるから。

師の仏教関連書籍と違い、一般の人達に話すとき、こういう話になるのだな。
「魂」「大切な人」など、ちょっと今までの話と毛色が違う。

余談
直哉(じきさい)は師匠が「音読み」で良いじゃないか、で、ついた名前。ご実家では「なおちゃん」。
と。司会者が本の題名を「ちょうえつとじつざい」と言ってしまったけど、訂正なし(というか、誰も?気づいていなかった)

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自死に近い死

人はいつ、「死」について考えてみる気が起こるんだろう?

今日未明かっちゃんが亡くなった。
急性肝炎(劇症肝炎?)で入院してからも、酒を飲み続けていたとの話も。
(それを知っている?)てっちゃんが「自死に近い死だったと思う」とコメント。

ちょうど「『死』とは何か」 Shelly Kagan イェール大学で23年連続の人気講義 という本を読み終わるところだった。
まったく偶然にも、読んでいた最後の第9講は「自殺」。
読みながら、かっちゃんの事ばかり考えていた。
かっちゃんってもうずっと長いこと、もしかしたら病気になるもっと前から、死と向き合ってた人なんだろうなぁと思う。

「死」とは何か 抜き書きメモ:
死についての最終講義 より
(ボールドになっているところは実際は・で強調されている)
***ここから***
 魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。愛したり、夢を抱いたり、創造したりする能力があり、計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。
 そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、特別に不思議なわけではない。
 (中略)
 そんなわけで、死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切ではない。適切ではないどころか、死に対する比類なく合理的な応答にはほど遠い。思うに、死を恐れるのは不適切な対応だ。
***ここまで***

訳者あとがき より 抜き書きメモ
***ここから***
 さて、著者は本書の目的について、こう述べている。
「大切なのは、みなさんが自ら考えることだ。突き詰めれば、私がやろうとしているうちで最も重要なのは、死をしっかりと凝視し、私たちのほとんどがけっしてしないような形で死と向き合い、死について考えるよう促すことだ」
「(中略)・・・みなさんが最終的に同意するかどうかよりも大切なことがある。それは、この機会にみなさんが自分の信念を批判的に検証できたかどうか、つまり、何が真実であることを自分が望んだり、願ったり、当然だと思ったりしているかだけでなく、何が実際に擁護できるかも自問することができたかどうかだ」
***ここまで***

(全然仏教的じゃないけどこれ哲学だから~、な)表紙カバーより
***ここから***
どのような生き方をするべきか?
”誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、
この問いについては慎重に考えなければなりません。
どんな目的を設定するか、
どのようにその目的の達成を目指すか、
念には念を入れて決めることです。

もし、死が本当に”一巻の終わり”ならば、
私たちは目を大きく見開いて、
その事実に直面すべきでしょう。
――自分が何者で、
めいめいが与えられた”わずかな時間”を
どう使っているかを意識しながら。
***ここまで***
あー、これ、要らんかな。。

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仏教原論行ってきた

まとめは、Tさんのブログ待ちにしよう。。
ボードの文章を全部書き写しきれなかった。
シャッター音が聞こえ、てっちゃんもそれに反応。
どうやら写真OKだったらしいorz

追記:素晴らしいTさんのブログ→ http://kotobanotsumugishi.seesaa.net/article/bukkyougenron20181110kougi.html

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