仏教

仏教原論(何回目?)

先月は大雨で中止。その前は公演を見に行ったので欠席。
中2月あいて、今日、久しぶりの仏教講座。

てっちゃんはその大雨の日、福知山で足止めを食らってたそうで。(どこに行ってたの?)
京都に行く道がないという道路標示が出たと。
と。ひざを痛めたらしく、ぴょこぴょこ痛そうにしてた(ので、動き回らなくていいです:汗)。

今日のテーマは日本の大乗仏教。
メモ6ページ分から少し抜粋。

世界価値観調査で、宗教の意義を問うたもの (宗教の基本的意義 宗教の意義は死後か現世か 死後を意味あるものにするか、現世か) 日本は、死後も低いが、現世も少な目。
仏教は「死後」を認める(輪廻観) が、意味あるか?教理とは別問題、苦が続く。
因果応報 日本は仏教教理は浸透しないが因果応報は民話や言い伝えに多い。→(職業)差別を生んだ。
初期仏教には逆を書いてあるものもある。教相を判釈していかなければいけない。

今日の一冊「なぜ今、仏教なのか」ロバート・ライト 科学、社会生物学、進化心理学 ダマシオ、シンガー、セリグマンが推薦 ハヤカワ
欧米の理科系が仏教に興味 仏教ルネッサンスな動向
Vipassanā Vi:ありのままに・客観的に Passanā:感ずる 今の自分の状態を観照する
瞑想 物事に反応しないように観察する、カッコ入れする、見ながら見ない…
仏教を修習するとは、内在的には生命進化論への反逆(宮崎)
本能や感情は進化によって作られ、言語に誘導され、執着。これが苦の原因だから、それを(論理的に)滅するということは進化論への反逆だと。
進化:結果論(無目的的に起こる、自然選択によって作られる)→言語(第二の本能)によって強化される。
そのエビデンスとして、「なぜ今、仏教なのか」
仏教は特別、ユニークなプロジェクト。感情・感覚からの解放。特異的、進化心理論

で、大乗仏教

仏陀は何に目覚めたのか
生の実相は「苦」→ 世界の構造は「縁起」「無常」「無我(方法に入るかも?)」→ 解放される方法「中道」「四諦」「八正道」

大乗仏教の縁起説 「相関」「相依(そうえ)」「相待(そうたい)」 森羅万象自性(実体性)を持つものはない、すべては縁によって繋がっている 無自性
(一般に日本で縁起というと、大乗仏教の縁起を言う)

佐々木閑 大乗非仏教説(大乗仏教は初期仏教と別物)
宮崎 大乗は補完的として 佐々木閑と意見対立

「言語がどれ程感官に食い込んでいるか」を発見したのが龍樹
世俗(凡夫)の世界は言葉によって成り立っている:言葉・戯論・分別…言語的多様性…実体はない
言葉は人間の実感を支配している
戯論をなくす→ 解脱

龍樹が十二支縁起を解いた部分があるが、なぜ解いたかというと、アビダルマを解説しただけ
言葉の世界、虚構である。
十二支縁起は認めるだけでは意味なし。滅さなければならない。

疲れたので、続く…

| | Comments (0)

心がラクになる生き方 メモ

「自分を大切にする」ことをやめる
 人はこの世に「たまたま」生まれてきた 存在にすぎません。
 そんな自分と折り合いをつけ、
 苦しさに「立ち向かう」のではなく、
 苦しい状況を調整しながら、やり過ごす生き方があります。

「生きがい」や「やりがい」をつくる必要はまったくない
 生きがい探しをしたくなるのは、
 現状に不満や不安があるときです。
 問題を直視して、不具合を調整すれば、
 生きがいなどは無用でしょう。

感情が揺れてもかまわない
 人間に喜怒哀楽があるのは、当然です。
 動揺したり、怒りがこみ上げたりしても、
 しなやかに揺れて、またスッと元に戻る 「不動心」を目指しましょう。

すぐに「答え」を出そうとしない
 自分の問題を「他人にわかる言葉」にしてみると、
 解決の糸口が見えてきます。
 主語と述語を明確にして、
 自分の置かれた状況や問題点を整理してみましょう。

怒りは、何も解決しない
 怒りが湧くのは、
 「自分が正しい」と信じているからです。
 怒りに翻弄されたくなかったら、
 自分が正しいと信じていることが、
 本当にそうなのかどうか、冷静に考えてみてください。

後悔は、抱えたまま生きればいい
 亡くなった人への後悔が残るのは、当たり前のこと。
 無理に打ち消そうとせず、
 その後悔を抱いて生きると腹をくくれば、
 いつか、そこに「意味」を発見するときが来ます。

悲しみたいだけ悲しめば、ふと笑える瞬間が来る
 誰がなんと言おうと、
 別れの悲しみを我慢する必要はありません。
 死者を思う気持ちとともに生きると決め、
 「悲しむ作法」を見つけることが大切なのです。

死を乗り越えようとしなくていい
 ふと生まれてきただけの人生に、
 「意味」や「価値」を求める必要はありません。
 人生とは、「自分」という舟で川を渡るようなもの。
 渡る間だけの道具です。

| | Comments (0)

心がラクになる生き方 目次

「禅僧が教える 心がラクになる生き方」 南直哉 目次

一章 あなたが大切にしている「自分」とは何か
 「自分を大切にする」ことをやめる
 「生きる意味」は見つけなくてもいい
 悩みは人間関係の中でしか生まれない
 「なりたい自分」になれなくたっていい
 自分のためではなく、誰かのために何かをする
 生きるか死ぬか以外は大したことではない
 自分自身で判断できるのは、人生の「些事」だけ
 「置かれた場所」で咲けなくていい
 「人生に意味などない」というところからスタートする
 情報の99%はなくてもいい
 人生はネガティブで当たり前

二章 「夢」や「希望」という重荷を下ろす
 「夢」や「希望」がなくても人は生きていける
 夢も、「夢を追う自分」も徹底的に冷たく見る
 「欲しい、欲しい」と思うときは、強い不安があるのだと考える
 「生きがい」や「やりがい」をつくる必要はまったくない
 テーマを決め、それに賭けて生きてみる
 「生きているのも悪くないな」と思える人生を生きる

三章 感情に振りまわされないために
 こじれた人間関係は「愛情」や「努力」では変わらない
 感じが揺れてもかまわない
 感情の波からいったん降りる技術を身につける
 すぐに「答え」を出そうとしない
 怒りは、何も解決しない
 苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない
 怒りで頭の中がいっぱいになったら、ルーチンな作業をする
 人脈も友達も、要らない
 「本当の気持ち」を話せるだけで、人は救われる
 家族にも日々のいたわりや心遣いを示す
 自分が抱えている問題を話せる「淡い関係」の人をつくる
 「名医」を探すつもりで、心の問題を話せる僧侶を探す

四章 死に向かって今日を生きる
 こぼれてしまった悲しみを癒してくれる場所がある
 後悔は、抱えたまま生きればいい
 悲しみたいだけ悲しめば、ふと笑える瞬間が来る
 「どうして私ばっかり!」という思いから解き放たれる
 閉じ込めた悲しみを認めると、大切な人の死を受け入れられる
 「自分が、自分が」と考えない
 いい縁を持った人が、見事に逝ける
 死を乗り越えようとしなくていい
 「この世」より「あの世」を心配するのは筋違い

| | Comments (0)

仏教原論2回目

こないだAmazonで注文した「仏教論争」が届いて。(出荷が遅れるというのでハラハラしたが、届いてP.50位まで読めた)
2回目の講義 以下メモ

初期仏教: 原始仏教:釈迦の時代から100年位迄を言う。
        仏典以降部派仏教(アビダルマ仏教(混在) の2つを合わせて初期仏教と言う
後期仏教: 大乗後期以降(教えによってばらばら)

釈迦仏教:仏陀(釈迦)

仏陀(釈迦)は実在したのか→ アショカ王の碑文・初期経典(パーリ語)などから、実在したと思っていいのでは。

パーリ語の経典を読んでも、矛盾が多い。
きょうそうをはんじゃくする って何?←わからずじまい
それは「密意」が背景にあるのでは→これもまた矛盾するところがあるのだが

オリジナルで、一貫性のあるもの、また、古いものが、釈迦の教えに近いのでは、という推測
分け方として、韻文の方が古い(散文の方が新しい) と解釈

宇井伯寿
中村元

詩で暗唱するように教えを広めた

中谷英明

スッタニパータ4章、5章が最古
と、最新3章との時間差は300年

相当(そうとう)へん 862~867話 →後でプリントを配るとの事

スッタニパータ
認知構造 原初的 感官による
外界との接触→快・不快が生まれる
執着しなければ快・不快は生まれない

ということを、釈迦はどうして発見したか

めみょう 〔メミヤウ〕 【馬鳴】 美文体の仏典
馬鳴

釈迦(仏陀)はなぜ出家したか:四門出遊(しもんしゅつゆう)の伝説 ← 創作であるとのこと(象徴としてのお話だと)
が、ジャータカ(クッダカニカーヤ内)やディーガニカーヤにも少し出ている?

「死」(老病死・苦の根源)←自分の事として見ていない、客観視していない、想像するのも難しい
それを自覚→集中して考える→無常

 余談: 10年前位(45歳位)に老眼を自覚、それまではお裁縫(得意らしい)で針に糸を通せるのが自慢だった(笑)

現世の不全性 疎外感 苦、そのものを感じるもの をどう解消?

釈迦の出家:沙門(バラモンではないので、非公式に出家) 勝手に出家というのはある意味近代的
子供に「ラーフラ(悪魔とか日輪を食う鬼神)」などと言う名前を付けたり、釈迦族が途絶えたりとか。
釈迦が遊行中、スッドーダナ(父の名)の所に戻り乞食していたのを、父はたしなめたのだが、釈迦は「私は、あなたの言うような血縁ではなく、宗教的な理念の家系である」と言ったと(ダンマパダ)

出家:苦(ドゥッカ)から解放されるため

大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)

仏陀の入滅
涅槃経 非想非非想処まで昇った世尊が、逆に初禅まで降りて、また昇って第四禅で涅槃に入る
滅尽定においては悟れない? 「ごまかさない仏教p.72」ということを言いたいのかと。

ちなみに仏陀にならなくても、悟りは阿羅漢でも。
初期仏教では阿羅漢が一番。
大乗仏教では、菩薩の方を尊ぶ(この世に居る、作用し続けている(救済する)から)

縁起
縁起とは何か は、変換がある上に論争が延々続いている。

仮のdefine(定義):縁によって生じる

生起する「こと(抽象名詞・道理)」=原始仏教と大乗仏教(意味は違うが)
生起する「もの(存在、原因・結果、法)」=アビダルマ

日本の近代仏教
第一次縁起論争(日本仏教を運命づけた)
宇井伯寿ういはくじゅ
木村泰賢きむらたいけん
和辻哲郎わつじてつろう
赤沼智善あかぬまちぜん

第二次縁起論争
三枝充悳さいぐさみつよし
舟橋一哉
もう1名名前失念

初期仏教
十二支縁起:理論的に整備されている:正起・順観、滅・逆観
違う系列 老死を起点に(老死は生に執着するから生まれる・・・)した「往観おうかん、還観げんかん」がある
こちら(の問題意識の順)の方がリアリティがあり自然でわかりやすい。 問いと答え。
釈迦が悟った過程かと。

ネットでググっても出てこない ニカーヤ(パーリ語仏典)にあるらしい

余談
本2冊に「自灯明」入りサインもらった。
まだ家にてっちゃんの本2冊ある(笑)

まとめレポートのサイト発見

| | Comments (0)

仏教原論1回目

宮崎哲弥氏の講義「仏教原論」を受講。
まさに聞きたかったこと(もっと深く知りたかったこと)について。
ノートを持って行かなかったことを後悔した。
いっぱいメモしたかったのに、何もない。

もう一度、てっちゃんの本を読んでおこうか。

次は5月12日。
宮崎氏の著書を持っていくこと。(と、筆ペン。サインは筆ペンらしい)

内容へのリンクをFBで発見

もうひとつ

| | Comments (0)

震災と仏教

寺子屋トーク第61回/相愛大学人文学部仏教文化学科開設記念企画
震災と仏教
私たちは今、何を問われているのか

という、宮崎哲弥と釈徹宗おふたりの対談を聞いてきた。
大震災は、自分たちの生き方を見直させるほどの価値観の転換点。
ここで仏教はどうするか、という話。

「言葉と命」がキーワードなのか、最後の説明では。

日本の大乗仏教が言う「無常」はウェットで、震災のような不条理・もろい日常の苦悩を誤魔化し無く向き合うという覚悟を説くにも、どこか慈愛があるような・・・という感じの話だったかな。
人は言葉によって生きているのではない。(言葉でがんじがらめにする宗派をチクリ、か。)言葉の背後を想像することが大事かと。
物事の陰、隠れた部分も見ること。
#しょっちゅう笑わされていたので、記憶が飛ぶー。
仏教は解答を与える宗教ではなく、問いの立て方が自ずからわかってくるもの。

大震災(+原発のふかくりつせい(漢字わからにゃい))を経験して、Slippery slope(スリッピースロープ)に一線を引くというとき、宗教者が関わるものだということ。
(特に)伝統仏教はこの震災を契機にSurviveしなければならない。
人生はCritical。。。

#ダメだ、断片的にしか思い出せない。
あとで、誰か拾い書きしてる人のメモも貼り付けようっと。(^^ゞ

| | Comments (0)

法事

女のお坊さんに来てもらって、実家で法事。
そしたら世間話が長くて、お昼ごはんを予約してたのが、押して押して。。。
仕方ないか~。甘かったわ。

仏教の話を少ししたけど。
なんか噛み合わなかったな。
宗派が違う所為?(^^;)

と。
親戚が、お墓を移すのをどうするか相談したそうだったけど、母親に押しつけて帰ってきた。
もう私は関わりたくない。
こっちのお墓も無い。この先どうなるんだ?

| | Comments (0)

人文科学の挑戦

相愛大学 人文学部[仏教文化学科・文化交流学科]開設記念シンポジウム
中沢新一×内田樹×釈徹宗
人文科学の挑戦

に、行ってきた。
600人定員の所1600人もの応募があったとのことで、行けてLucky Me!

実のところ、「人文科学」が何かわからないまま行った。
今も何となく「人と人・物と物を繋ぐ(時系列も含む)学問・智慧」みたいな感じ?という認識で。
それって、仏道やん?みたいな・・・。へへ・・・(照)
人の心はどこから来るのか、どうやって作られるのか、も、そう?

で、まず「宗教テロリスト」と言われた中沢新一のイメージは、がらりと変わった。
3人のうち一番皮肉(とまではいかないか・・・ちくっなワード)は多かったかな。でも笑いのソースだから悪くない。
最後のアピールは、もっと仏教のこと喋らせてほしい、だったなー。
チベットのだからなぁ。
量子力学とのコラボとか話うまかったけど、うーんやっぱりみんな二の足踏む?

内田樹は根っからのコミュニタリアンだなぁ。
で、きっと他の2人以上に物知りで、いろんな話を引き出して持ってきて統合して・・・と、自身が仰有っていたみたく「頭が良いというのは、思いがけないところに同系列を発見できること」そのもの。

母性原理の話は面白かった; 「ちょっと待ってね」、成熟、精選変化、Time is Time
それに加えて中沢氏「マートリー=子宮、器の意」、抗体反応を一部解除する。
それに加えて釈氏「慈悲の慈。ちなみに慈悲の悲は異物をどう引き受けるかということ」・・・と続く。

人文以外にも、日本人の在り方(ガラパゴスでいいやん、なんちゃってでいいやん、な話)や大阪の話(抽象的な話を生活に着地させる流れを知っている、とか、自分の弱みをツールにコミュニケーションを図る)も、次から次から話の泉・・・。

時間はすぐに経ってしまう。
本当に楽しい時間だった。

この鼎談、10月17日朝日新聞・大阪本社版の日曜版朝刊に載るらしいので、メモ。

おっと。自分なりの総括; 内田氏の言う「頭が丈夫」って、広い視野を持つことが第一歩。空間だけじゃなく時間にも。で「上機嫌に、ぐずぐずと、なんちゃって」過ごす。

| | Comments (0)

苦手な話

ジムで。
私が有酸素マシンで仏教書を読みながら運動してるからか、真言宗のオジサンに「十三仏や、いろんな真言の意味を教えてくれる本はないかな?」と尋ねられた。

えと;;;

困ったな。
調べないと。(^^ゞ

| | Comments (0)

釈徹宗氏×宮崎哲弥氏

新しいカテゴリーを作ったけど、これからも使うことあるのかな?
まあいいや。

今日、大阪の浄土真宗本願寺派本願寺津村別院(北御堂)で、釈徹宗氏と宮崎哲弥氏の公開講座があったので行ってきた。
ポピュラーなお二方なので、きっとH&Mの新規店舗オープンみたく並んで待っている人がいるかと思い、少し早めにでかけたのだが、列に並んだのは1時間前からで、それまでは本堂前の「親鸞さん」のアニメビデオで時間潰しするなど。
会場は400名先着順ということで、立ち見の人もいたようだ。整理券もなかったな。。。

会場には信徒さんと思われる数珠をお持ちの方が多く、始まりに「南無阿弥陀仏」と手を合わせられ、どぎまぎ。(^^ゞ
でも一般に向けてにも開かれた講座ということで、ありがたいこと。
一緒になって手を合わせる。数珠は忘れたけど。(^^ゞ

講座のテーマは「今、生きていることの意味 -仏教の智慧、現代への応用-」ということ。
でも話はお二人がジャイアンツファン(釈氏もカミングアウト)ということから始まって・・・。
どちらかというと、釈氏が話を振って宮崎氏が多く話すという進み方で、仏教者としての宮崎氏の素顔が実際に見聞きできて嬉しかったな。
家に釈氏も持ってないような教典があったり、祖父の影響により禅寺で修行させられたりしたことがあったりとかいう話は知らなかったし。
時間が許せば釈氏の著書(や研究?)の話も聞きたかったところだけど、あっという間に過ぎた感じ。

テーマに触れる話は、と?
思い出すままに書き出してみる。
ブッダ(というか釈迦)の言葉「言葉を棄てよ」、言葉に執着しないように。
「拘り」というのは悪い言葉だということ。
原始仏教を現代の解釈で見直せば、仏教は宗派を超えるのでは。(あ、これは私の言葉か(^^ゞ)
「葬式は要らない」と変わってきた現代にも、葬式仏教以外で仏教関係者にできることはないか?死生観を引き受けることができやしないか、みたいな。
(てっちゃんは僧侶を前に講演をしたこともあるようで、その際とある僧侶から「自死をした子を持つ親になんと言って良いか?」と問われたことがあると。釈氏はそういう時「形式」というものがある意味救いになるのでは、と。
テーラワーダのシンプルな教えが、特に若い人たちに支持されているのを、伝統宗門はどう受け止めるのか?てっちゃんがフランスの思想家の名前を言ったが、シモーヌ・ヴェイユと誰だっけ?エミール・シオラン?
自己決定を迫られるのが当たり前の昨今、確固たる自己のないまま、自分の行動責任というものを背負いきれないのでは。
仏教は「解答」を見つけるのではなく「問い続ける」こと。

つづく、としておこう。思い出したら書く。

と思ったけど、Twitterでスゴイ人がいらしたので、リンク。
釈徹宗×宮崎哲弥対談「今、生きていることの意味」まとめ

| | Comments (0)