仏教

震災と仏教

寺子屋トーク第61回/相愛大学人文学部仏教文化学科開設記念企画
震災と仏教
私たちは今、何を問われているのか

という、宮崎哲弥と釈徹宗おふたりの対談を聞いてきた。
大震災は、自分たちの生き方を見直させるほどの価値観の転換点。
ここで仏教はどうするか、という話。

「言葉と命」がキーワードなのか、最後の説明では。

日本の大乗仏教が言う「無常」はウェットで、震災のような不条理・もろい日常の苦悩を誤魔化し無く向き合うという覚悟を説くにも、どこか慈愛があるような・・・という感じの話だったかな。
人は言葉によって生きているのではない。(言葉でがんじがらめにする宗派をチクリ、か。)言葉の背後を想像することが大事かと。
物事の陰、隠れた部分も見ること。
#しょっちゅう笑わされていたので、記憶が飛ぶー。
仏教は解答を与える宗教ではなく、問いの立て方が自ずからわかってくるもの。

大震災(+原発のふかくりつせい(漢字わからにゃい))を経験して、Slippery slope(スリッピースロープ)に一線を引くというとき、宗教者が関わるものだということ。
(特に)伝統仏教はこの震災を契機にSurviveしなければならない。
人生はCritical。。。

#ダメだ、断片的にしか思い出せない。
あとで、誰か拾い書きしてる人のメモも貼り付けようっと。(^^ゞ

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法事

女のお坊さんに来てもらって、実家で法事。
そしたら世間話が長くて、お昼ごはんを予約してたのが、押して押して。。。
仕方ないか~。甘かったわ。

仏教の話を少ししたけど。
なんか噛み合わなかったな。
宗派が違う所為?(^^;)

と。
親戚が、お墓を移すのをどうするか相談したそうだったけど、母親に押しつけて帰ってきた。
もう私は関わりたくない。
こっちのお墓も無い。この先どうなるんだ?

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人文科学の挑戦

相愛大学 人文学部[仏教文化学科・文化交流学科]開設記念シンポジウム
中沢新一×内田樹×釈徹宗
人文科学の挑戦

に、行ってきた。
600人定員の所1600人もの応募があったとのことで、行けてLucky Me!

実のところ、「人文科学」が何かわからないまま行った。
今も何となく「人と人・物と物を繋ぐ(時系列も含む)学問・智慧」みたいな感じ?という認識で。
それって、仏道やん?みたいな・・・。へへ・・・(照)
人の心はどこから来るのか、どうやって作られるのか、も、そう?

で、まず「宗教テロリスト」と言われた中沢新一のイメージは、がらりと変わった。
3人のうち一番皮肉(とまではいかないか・・・ちくっなワード)は多かったかな。でも笑いのソースだから悪くない。
最後のアピールは、もっと仏教のこと喋らせてほしい、だったなー。
チベットのだからなぁ。
量子力学とのコラボとか話うまかったけど、うーんやっぱりみんな二の足踏む?

内田樹は根っからのコミュニタリアンだなぁ。
で、きっと他の2人以上に物知りで、いろんな話を引き出して持ってきて統合して・・・と、自身が仰有っていたみたく「頭が良いというのは、思いがけないところに同系列を発見できること」そのもの。

母性原理の話は面白かった; 「ちょっと待ってね」、成熟、精選変化、Time is Time
それに加えて中沢氏「マートリー=子宮、器の意」、抗体反応を一部解除する。
それに加えて釈氏「慈悲の慈。ちなみに慈悲の悲は異物をどう引き受けるかということ」・・・と続く。

人文以外にも、日本人の在り方(ガラパゴスでいいやん、なんちゃってでいいやん、な話)や大阪の話(抽象的な話を生活に着地させる流れを知っている、とか、自分の弱みをツールにコミュニケーションを図る)も、次から次から話の泉・・・。

時間はすぐに経ってしまう。
本当に楽しい時間だった。

この鼎談、10月17日朝日新聞・大阪本社版の日曜版朝刊に載るらしいので、メモ。

おっと。自分なりの総括; 内田氏の言う「頭が丈夫」って、広い視野を持つことが第一歩。空間だけじゃなく時間にも。で「上機嫌に、ぐずぐずと、なんちゃって」過ごす。

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苦手な話

ジムで。
私が有酸素マシンで仏教書を読みながら運動してるからか、真言宗のオジサンに「十三仏や、いろんな真言の意味を教えてくれる本はないかな?」と尋ねられた。

えと;;;

困ったな。
調べないと。(^^ゞ

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釈徹宗氏×宮崎哲弥氏

新しいカテゴリーを作ったけど、これからも使うことあるのかな?
まあいいや。

今日、大阪の浄土真宗本願寺派本願寺津村別院(北御堂)で、釈徹宗氏と宮崎哲弥氏の公開講座があったので行ってきた。
ポピュラーなお二方なので、きっとH&Mの新規店舗オープンみたく並んで待っている人がいるかと思い、少し早めにでかけたのだが、列に並んだのは1時間前からで、それまでは本堂前の「親鸞さん」のアニメビデオで時間潰しするなど。
会場は400名先着順ということで、立ち見の人もいたようだ。整理券もなかったな。。。

会場には信徒さんと思われる数珠をお持ちの方が多く、始まりに「南無阿弥陀仏」と手を合わせられ、どぎまぎ。(^^ゞ
でも一般に向けてにも開かれた講座ということで、ありがたいこと。
一緒になって手を合わせる。数珠は忘れたけど。(^^ゞ

講座のテーマは「今、生きていることの意味 -仏教の智慧、現代への応用-」ということ。
でも話はお二人がジャイアンツファン(釈氏もカミングアウト)ということから始まって・・・。
どちらかというと、釈氏が話を振って宮崎氏が多く話すという進み方で、仏教者としての宮崎氏の素顔が実際に見聞きできて嬉しかったな。
家に釈氏も持ってないような教典があったり、祖父の影響により禅寺で修行させられたりしたことがあったりとかいう話は知らなかったし。
時間が許せば釈氏の著書(や研究?)の話も聞きたかったところだけど、あっという間に過ぎた感じ。

テーマに触れる話は、と?
思い出すままに書き出してみる。
ブッダ(というか釈迦)の言葉「言葉を棄てよ」、言葉に執着しないように。
「拘り」というのは悪い言葉だということ。
原始仏教を現代の解釈で見直せば、仏教は宗派を超えるのでは。(あ、これは私の言葉か(^^ゞ)
「葬式は要らない」と変わってきた現代にも、葬式仏教以外で仏教関係者にできることはないか?死生観を引き受けることができやしないか、みたいな。
(てっちゃんは僧侶を前に講演をしたこともあるようで、その際とある僧侶から「自死をした子を持つ親になんと言って良いか?」と問われたことがあると。釈氏はそういう時「形式」というものがある意味救いになるのでは、と。
テーラワーダのシンプルな教えが、特に若い人たちに支持されているのを、伝統宗門はどう受け止めるのか?てっちゃんがフランスの思想家の名前を言ったが、シモーヌ・ヴェイユと誰だっけ?エミール・シオラン?
自己決定を迫られるのが当たり前の昨今、確固たる自己のないまま、自分の行動責任というものを背負いきれないのでは。
仏教は「解答」を見つけるのではなく「問い続ける」こと。

つづく、としておこう。思い出したら書く。

と思ったけど、Twitterでスゴイ人がいらしたので、リンク。
釈徹宗×宮崎哲弥対談「今、生きていることの意味」まとめ

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