カテゴリー「仏教」の記事

仏教原論2019年4回目

ダンナさんと行ってきた。
車、失敗。五十日で道が混んだ。着いたのは5分前という。。
で、着席したのが後ろの方だったので、プロジェクターの文字が見えづらかった。
最初に十二支縁起の「三世両重」とか「胎生学的縁起観」という話が出てきて引いてしまったし。
それって、不変の実体が次の世に生まれ変わる輪廻観でしょ。
どうもこういうファンタジーにはついていけない。
(後に「往観」出てきて、納得。縁起や輪廻は滅するのが理想、と。)

参考:「仏法」ポーパユット テーラワーダ仏教 サンガP.131~133に十二支縁起、初期の仏教に近くしかも現代的
認識過程が苦の根源、無くすためには滅していくこと。
仏教の認識の鍛錬(理想)は、「6識-6根-6境(眼識-眼-色、耳識-耳-声、鼻識-鼻-香、舌識-舌-味、身識-身-触、意識-意-法」の6根-6境を分離、防御すること(見ているのに見ない、、)。五蘊とも関わる。

でも、なんとかがんばり、、、(^^ゞ

本日の一冊
昭和史講義」筒井清忠
鈴木大拙批判(?)『霊性』 ←どうも話が頭に入ってこなかった。プロジェクターの文字、見えなかったし。
出てきた単語: 如来思想 集諦(実体?どっち?)論 大乗起信論 初期仏教にはない(大乗後期に出)反集諦論 すべての現象は言語によって分節化されている(中論) 言語阿頼耶識
あーわからないorz 後で調べなくては。

今回のテーマ:
縁起のおさらいと「四食」。
テキストは「阿含経典第一巻」増谷文雄訳(筑摩書房)P.106~『7. バッグナ』
衆生を養い育てる四種の食物「段食」「触食」「思食」「識食」(だんじき、そくじき、しじき、しきじき)
四食の、一のほう。
仏教の思想、「主体を消去、主体を抜ききる」つまり「無我」を言ってる。無我(になる?の)が、理想だと。
難しかった。

比縁生(しえんしょう)
「これがあるときそれはある(static 論理)
 これが生じるからそれが生じる(時間的)」
「これがないときそれはない(static 論理)
 これが滅するからそれが滅する(時間的)」
比縁生を論理的と取るか時間的と取るか→ 決まっていない。(両方取る、とも)
苦の発達過程であるが、これはダルマ(真理)なのか?→No 輪廻も縁起も、否定するための対象、根本原理ではない

十二支縁起の「往観」「還観」。
(往観:生があるから老死がある 還観:無明があるから行がある)
これは去年も教わっており、この
往観-順観(何を縁として老死があるか、生を縁として老死がある。何に縁って生があるか、識を縁として生がある・・・)と
往観-逆観(何に縁って老死の滅があるか。生の滅に縁って老死の滅がある。何に縁って生の滅があるか、識の滅に縁って・・・)が、
仏陀(シッタールダ)の臨床体験であり、手順であり、分析であると。

これを後世、昇華したのが、
還観-順観(無明を縁として行がある。行を縁として識が・・・)
還観-逆観(無明の滅によって行の滅がある。行の滅によって・・・)
という後世に出てきたもの。

ちなみにダンナさんの感想:
てっちゃん、仏教思想を、どこから見ても論理的に破綻の無いようにしようとしてるんだな。
一人の思想が、宗教にまでなった、思想を文章に残した、というところを、隙間なく説明できるようにしている。
営業の仕事のよう、って(笑)

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仏教原論2019年6月(3回目)

今回も、とてもおもしろかった。
おさらい。宮崎先生の講義(と釈先生、井上先生)に、配布されたプリントからの抜粋を散りばめて。と、前回のメモとかも。

南海キャンディーズ山崎さんと蒼井優さんの結婚話から。
「美醜ヒエラルキー(カースト)」という言葉があるなんて、という話。
文学作品などで、悪者や愚者はたいてい醜く、善人や賢者は美しい。
これは本能に根ざすもので、根源的。払拭するのは難しい、と。

で、仏教は、この「当たり前」を批判するもの。
生命進化への反逆。
遺伝子の乗り物(Vehicle)としての人間であることが、「苦」であると言ったのが仏教。「生存欲を滅ぼせ」

前回の縁起説のおさらい。

十二縁起
無明→行→識→名色→六処(六入)→触→受→愛→取→有→生→老死
というのは、洗練され定型化された縁起説。
が「十二支縁起=悟り」だったのではない。(縁起の滅・輪廻からの離脱が仏陀の思想)

三枝充悳
「悟りを”縁起”で説くことに強く反論する」(仏教新聞)
(仏陀の悟りは、十二支縁起によってではない)
 縁起説には 実相論(すべてのもののありのままのあり方を説いたもの)→天台系、縁起論(相対的)→華厳系 がある。
 十二因縁説は縁起説全体の一部。初期仏教中だと「ウダーナ」「律蔵」「大品」のみ。
 「相応部・雑阿含経『老死ー生ー…ー無明』」のほうが、自然的順序。人間の認知(認識)過程。

上座部と大乗では、縁起説の捉え方が違う(これは前回でも言及)

「ティク・ナット・ハンの般若心経」を読む。
#ここで受講者全員による般若心経の読経。ダンナさん無言(読めんかったらしい)。てっちゃん「仏説」から読み始めた(最後の「ぎゃーてー・・・」を単なる呪文、密教だ、と言ってたからそれに合わせてのことだと思う)
#ティク・ナット・ハンはベトナムの禅僧。師は政府に抗議して焼身自殺したティク・クワン・ドック。
#般若心経は、十二縁起を批判(否定)している。

 第十二章 すべては心がつくりだすもの――十二縁起 より抜粋
////ここから////
 ”相互に依存して生起し消滅する十二のつながりもまた、独立した実体ではない。”
 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
  十二のつながり(十二縁起)としてのニダーナ(因縁)の教えは多くの論書(経典の解説)に登場しますが、その目的はサンサーラ(輪廻)と、カルマ(業)の報いと、生まれ変わりのサイクルの説明です。しかしそこに書かれているのは、真理に対する便宜的な解釈(俗諦)のひとつであり、深遠な仏教の教えにはなじみません。だからこそ私たちは、因縁についての教えが究極の真理(真諦)へと導いてくれるように再解釈しなければならないのです。
  輪廻転生と因果応報の概念は、もともとブッダに由来するものではありませんでした。 //中略//
  カルマ信仰は、自分のすることが何であれ、その結果に苦しまねばならないとするものです。 //中略// 自業自得ということです。人は生まれ変わりのサイクルの中にあり、今世の行いによって来世は決まると信じられていました。人の体の中には不死の魂が存在していて、その肉体が朽ち果てると、魂はそこから離れ、新しい肉体を探すというのでした。輪廻のサイクルの教えは、魂の概念と相性がいいのです。これに対して、仏教では、不死の魂という概念を引き継ぎませんでした。仏教は、業と輪廻の教えを取り入れつつも、そこに重要な修正を行ったのです。
////ここまで////

 実体論的に十二縁起を捉えてきた(部派仏教の三世両重説)が、それは間違いである、と。(初期仏教へのアンチテーゼ)
 十二のつながり、十二縁起は一方向であり、相互作用ではない、と。
 十二支、これ自体が分別じゃないか、と。

ベトナム仏教は中国の影響を受けた。なのでティク・ナット・ハンは大乗仏教系。

ちなみに有支縁起は、スッタニパータではせいぜい3つしか支分がなく、宮崎先生はこれが最良だと。=愛→★(じゃく・字わからず)→苦
愛(生存本能・フロイトで言う生の欲動)→じゃく(執着)→苦 じゃくと苦の間に「無常」がある。

ふりかえりと言葉の補充など
 無明(むみょう):人間の根本煩悩、生存本能、無知
 行(ぎょう):生活行為、意志作用、業が生み出されて?
 識(しき):認識作用
 名色(みょうしき):精神的な存在と物質的な存在、認識の対象となるもの
 六処(ろくしょ)眼耳鼻舌身意、6つの感覚器官
 触(そく):6つの感覚器官が感受対象に触れること
 受(じゅ):感受作用
 愛(あい):渇愛、本能的欲望
 取(しゅ):執着
 有(う):生存
 生(しょう):誕生
 老死(ろうし):老いて死ぬという耐え難い苦悩
 名色の色は分別、名色は言語による分別
 ティク=釈とのこと。 釈先生はティク先生(笑)
 三世両重 無明→行の行を業と訳すところが間違い、という指摘あり。
 無明→行:過去(因)
 識~受:現在(果)
 受~有:現在(因)
 生→老死:未来(果)
  余談:キリスト教の「愛」について、アガペを愛と訳しているが、どうよ?という話あり。
 口伝は正確に伝わったのか?という質問に対して、井上先生が「大勢の弟子たちが読み合わせることで(結集)で、間違いの検証機能が働いく」他の先生方も「書物になったほうが不正確かも」と。
 
宮崎先生まとめ
 十二支縁起それ自体が"言語による分別"じゃないか?
 初期仏典といえども「教相判釈」される必要がある、と、てっちゃん。(心で拍手)

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仏教原論2019.5

ダンナさんと。
私より、ダンナさんのほうがちゃんと聞いてるかも?
私、ノート取るのに一生懸命(^^ゞ

メモは後ほど。。

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"平成最後の"()仏教原論講義

今年も仏教原論。金曜日の夜に変わり。
今回はダンナさんも一緒に受講。

今回はオリエンテーション、この先(今日も含めて11回)のイントロということ。
・四聖諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)=仏教の根本
・教科書として『ごまかさない仏教』『仏教論争』

今日の一冊『100万回生きたねこ』佐野洋子 てっちゃんは仏教説話と捉えている。(釈さんはそれを「面白い」と)

最後にねこが死んでしまうというのに、良かった、と思えるのはなぜか?
前世を知りながら何度も生まれ変わる、つまり永遠の命、これも『苦』と捉える、という。←仏教的

・輪廻転生を繰り返すねこ「しぬのなんか へいきだった」*ここ重要(『死』は悪いものという近代的死生観から乖離している)
・飼い主(他者)は、ねこが死ぬと悲しむ。(自分の死は他者にしかわからない)
・ねこが、のらねこになると(誰のものでもなくなると)『生』を獲得=自我~自尊~自愛の意識に囚われる(煩悩)
ちなみに、「過去世の記憶を全て持っている」というのは仏陀と同じ(前生譚)
・ねこが白いねこと一緒になり子供を持ち、他者を大事に思うというのは、自愛の否定や、他者と自分という関係性(縁起)
いつまでも生きていたいと『生』への執着(まだ煩悩)
・白いねこが動かなくなり(本当の死を知り)100万回も泣き(苦しみ)
自論ここから→・夜になって 朝になって が 朝になって 夜になって に変わるところは悟り~俗世に戻る感じ
 ・ある日のお昼に(中論)
 ・ねこはなきやみました ねこは白いねこのとなりでしずかにうごかなくなりました。(自分の死を他者が見たらこれ ねこは自分の死を見れない)←自論ここまで
・ねこはもうけっして生きかえりませんでした。(涅槃、生天)← ところが後で釈先生が「涅槃は無理、ねこだから」と言って教室内が湧いた(笑)
・最後のページの絵にはねこがいない(不在):仏教にとって、輪廻転生は否定対象。生き返らないこと(涅槃)が理想(大般涅槃経)
釈先生→・この童話では誰それという名前が出てこない。固有名詞は近代自我の特徴、名前は自我を強める装置。

と。
四聖諦とかの『諦』とは?真理?まとめ?あきらめ?…で語源は?…という話になって、宿題に。
これは興味深い。

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坐禅初体験

南直哉院代の講座に行ってきた。
今日はお話を聞いた後、別に坐禅の体験があって。
股関節硬いのに、膝痛いのに、本当にできるのか?…という重い気持ちで参加してみた。

結果、参加してよかったと思う。
曹洞禅の作法と流れ

股関節が固く、結跏趺坐どころか半跏趺坐すらできない(膝が床につかない)人は「諦めてください」なんだけど、縦半分に折った座布団に跨るようにしてお姉さん座り(とにかく膝を床につけること・3点で体を支えることが大切)をすれば、形はともあれ、坐禅ができる。嬉しい。
股関節の外旋がきついから内旋にしてしまう。。(^^ゞ という坐禅は新鮮だわー。

20分座った。
始まってすぐ、親指がついてるかついてないかの感覚がなくなった。
時々目を閉じそうになったけど、寝てない。「起きてる」と「寝てる」の間な感じ。でも金縛りとは違う。。
何も考えないようにと考えるのも雑念だから、思い浮かぶものは振り払わないでやり過ごす感。

何だろう、気持ちいい。
毎日10分でもいいからやってみなさいとのこと。
できるかな。

考えたらすごい経験だわ。
あの南直哉院代直々に、坐禅を教わるなんて~(^o^)
一緒に体験した女の人たち、倉敷、明石、滋賀からとか、結構遠くから来ておられたのもわかる。

と。
この日の講演、メモしたのを写すのがしんどいので、他人のをお借りします。
南直哉師の「よく生きる」ことの解答とは

追記:坐禅(座禅)で使う坐蒲(座蒲)の豆知識 ~選ぶポイントや手入れの仕方など~

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公開講座へ

カテゴリー、仏教じゃないけど宗教関連。
相愛大学人文学部の公開講座を受講。
今日は無料なのでダンナさんを誘ってみたら、一緒してくれた。

釈先生による「宗教の共存について考える」
レジュメに沿って、とても分かりやすい講義。
釈先生ご自身の経験も有り。

宗教を総括的に勉強する機会は無い。ほとんど。
(行ってた学校で「宗教学」取ったけど、何やってたか全然覚えていない)
ましてや、それぞれの(伝統)宗教の共存なんて、凡夫だし語れない。
ただただ、釈先生の話に頷くばかり。

違う宗教(文化)がわかり合うなんて無理。が、学ばないより学ぶほうが良い。
理解や共感とかを前提にするのも無理。
共存と言うより、呼応。それも時間をかける(先送り、棚上げ)こと。
無宗教と言う人だって何かの文化の中で育っているのだから、当事者意識を持つべき。
信仰を持つものは加害者意識を持つべき。
簡単じゃない。

これから移民政策で在留外国人が増える。
日本は多文化多宗教に対応できるのだろうか?

しかし、受講しているのはおおよそじじばば世代。
せっかく問題意識が芽生えても、積極的に社会活動できる年齢層じゃない。
若い人はこういう勉強会に参加しないかな。

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仏教原論今期最後の授業

仏教は、人を救う考え方。
なのに、なんてパンキー(笑)

佐々木閑先生は「大乗仏教は非仏説」と言ってるが、てっちゃんは「ブッダの教え」と。
その根拠。

という講義。(内容は濃く、熱かった)

今日のプリント:
「大乗般若経」より第十六章 阿闍世王の病と苦悩 のところ(先月のおさらい)
「ブッダ神々との対話‐サンユッタ・ニカーヤI」中村元訳・岩波文庫 第II篇 第三章 種々なる異学 第六節 『赤い馬』(九偈 …世界そのものと、世界の生起と、世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道… が四諦(四聖諦)に通じる)
「ブッダのことば」中村元訳・岩波文庫 第四 八つの詩句の章 『一一、争闘』(874:「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。――このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」→これは「縁起」に展開していくと思っている(宮崎) この874は中論に出てきそうだ、とてっちゃん。

私としてはもっと龍樹の空の話を聞きたかったけれど、「仏教原論」なので、初期仏典から原始仏教(と大乗仏教)を探る講義が多かった。
来期も講義があるので楽しみ。
実践編が多くなる予想(受講生の希望から?)

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原始仏教と大乗仏教

仏教原論
ノートからの書き写し、したいところだけど、今日は無理。

佐々木閑先生の新しい「大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか」NHK出版新書 がたぶんほぼテキスト。
読まなくちゃ。

と。
ウォークマン、修理(というか交換)に8500円+税 な値段がかかりそう。
なので、新しいのを買うのと同じ。
ダンナさん、もう買ってくれないだろうなorz

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仏教原論(教行信証)

かっちゃんの件がショックだと、まず言われて。
「お酒には気を付けましょう」と。アルコール性肝炎は発覚した時にはもう手遅れですと。

で、今日の講義内容は「教行信証」から。
真宗系の学校で、やっと親鸞が出てきた。

教行信証は略称、正式には顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)
三 より

阿闍世(あじゃせ)王の話。 wiki コトバンク

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いのちのセミナー

以前、Twitterで検索かけて拾った情報により、今夜のセミナーに参加できて行ってきた。
2018年度第7回いのちのセミナー 講演「魂のゆくえ」 講師:南直哉

このセミナーは、あの平成17年JR福知山線脱線事故を踏まえ、安全基盤形成に関する研究助成や社会福祉団体等への寄付を含めて、平成21年4月に設立したJR西日本あんしん社会財団が、一般の人を対象とした心のケアへの取り組みなど、社会に役に立つ取り組みとして開催している、とのこと。

で、依頼され、南直哉が登壇。
抽選に当たった。嬉しい。(かなりの応募数だったらしい)

講演の内容
院代の自己紹介から始まって。
落語を聞いているような軽快なお喋りで笑いを誘い、聞く人を引き込んでいく。
最後は「魂」について。

残った言葉
自分一人で結論が出ることは些末な事。
3.11以降、生きている感覚が変わった。「当たり前に安全」など無い、と「なぜ私はここにいるのか、なぜ私が生まれてきたのか、わからない」。
生まれた根拠や意味など無い。
(生死は)誰かを通してしかわからない。
人を許す→人を許す自分を許す、ということ。
幽霊は無いけど魂はある。
魂は生きる意味と価値。人との関係で育まれる。「生」に重み・重力を与える。
無条件に自分を受け止めてくれる人がいることが重要。
死者はなくならない。「いる」。人の「生」に食い込んでいる。
大切な人:我々の魂(生きる意味と価値)を育ててくれる人
「生」に意味があるのは「死」があるから。

師の仏教関連書籍と違い、一般の人達に話すとき、こういう話になるのだな。
「魂」「大切な人」など、ちょっと今までの話と毛色が違う。

余談
直哉(じきさい)は師匠が「音読み」で良いじゃないか、で、ついた名前。ご実家では「なおちゃん」。
と。司会者が本の題名を「ちょうえつとじつざい」と言ってしまったけど、訂正なし(というか、誰も?気づいていなかった)

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