輪廻について。
の前に一冊(今日は2冊だった)
「超越と実存」南直哉
「初期仏教」馬場紀寿
南直哉院代の話は出ると思ってた。
週刊文春の時々砲弾313★INTERLUDE:友の受賞のプリント(文春に載ったより洗練されたものだそう)をもらった。
てっちゃんと南師は、一緒に飲み食いするような間柄じゃなく(一度もないらしい)、仏教の同じ部分(「死とは何か」「私が私である根拠は何か」という問いを最も深く問い抜き得る)に共感した間柄 ということ。
ブッダも必要だと教えた、仏道の同伴者(賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者)にあたる。
あと、「超越と実存」の序章・問いの在りか と 「仏教論争」 がリンクする部分 の説明。
・「諸行無常」は自己の存在の無根拠性と解釈。が、人は本能的に根拠を求めてしまう。仏教とて。「超越」的概念が仏教に侵入し、思考の枠組みを変えてしまう。しかしこれら「超越的理念」を存在の根拠or実体と措定すると、仏教の核心的考え方を見えなくする。
・仏教の最大の課題は言語の批判にある。 言語の「超越性」や「本質」性は錯覚にすぎない。(ブッダは)この「必要不可欠な虚構」が苦という原本的疎外の促進因であることを知っていた。
「初期仏教」はてっちゃんの仏教論争の前提的知識として、前に読めばよかったところの書であると。
・「輪廻」を「自己の再生産」という。←おもしろい
・インドの伝統宗教をひっくり返すことで仏教が成立した。
仏教以前の宗教を紹介。
ヒンドゥー教では「アーリヤ」=「高貴」バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ 再生族(ドビジャ)に対して 一生族(エーカジャ)シュードラ
これを、仏教は概念を反転させた。輪廻から外れたものがアーリヤであると; アムリタ(不死) 一生族
成仏=再生しない
(再生に関して言うと、イスラム圏には死後を意味あるものにするという宗教的意義を持つ人が多い)
とここから輪廻の話。
マッチポンプ
日本にはもともと輪廻の概念はなく、仏教によってもたらされた考え方なので、輪廻=仏教、という誤解
縁起と構造が同じ。(いつしか順観そのものを仏教という誤解)
縁起を滅すること、輪廻を滅すること が仏教の理想。(多分、今日のまとめはこれかな?)
休憩の後の釈先生との会話は、まとめられるほどにはついていけなかった。
最後にてっちゃんは中観派の中でも帰謬派だということ。(もうひとつは自立論証派)
破邪顕正(はじゃけんじょう)は右翼なんかが間違った使い方をしてるらしい。
意味は「誤った見解や囚われを避けると、自ずと正しいものが見えてくる(てっちゃん)」と。
とらわれない、だわね、本能やそれを強化してしまう言語に。
それと。(余談)
てっちゃんは怪談コレクターだそう。
あと、釈先生に「字、あまりにきたない」と言われ。釈先生はてっちゃんを見ながらでもボードに字を書ける。(長年の教師生活が、、という話)
総裁選は安倍首相の圧倒的勝利になるだろうと。が、来年の参院選で2/3取れなかったら、憲法改正まで到達できないから東京五輪後に辞任するかも。参院選がみそ、とのこと。
釈先生から、土曜日は法要が多いので、授業を金曜日の午後に変えてほしいとのお願いが。来年もてっちゃんの講義はあるみたいだけど、金曜日になるかも。
かっちゃんの話は出なかった。